Fight the Future

Java言語とJVM、そしてJavaエコシステム全般にまつわること

行動せず批判だけするのが一番簡単だけど

行動せず批判だけするのが一番簡単だけど、一番いやしい感じがする。


特に何かを意識してのエントリじゃないんだけど、
最近よくこのことを感じる。
批判だけの人を目にして、人間の醜い部分を見せつけられてしまう。


ここでの行動ってのは目を引くような行動だけじゃなくて。
広い意味で「よくしたい」という思いで何かをすることは、すべて行動だ。
それがコツコツした地味なことでも。


行動に対しての「フィードバック」と「批判」はまったく違う。
フィードバックはたとえ悪い点を指摘しても、「こうすればもっとよくなる」という内容を必ず含む。プラスのエネルギーだ。
批判は自分の感情を巻き散らかしたものだ。自分が当事者でない視点からだけしか意見を述べない。マイナスのエネルギーだ。


だから、フィードバック自体も「よくしたい」思いがある以上行動となる。
だけど、批判は行動じゃない。自己顕示でしかない。


たとえば、ある人が何かを説明したとする。しかし、わかりづらかった。
「何を言ってるのかわからなかった」とか「資料がないからわかりづらい」というのが批判だ。
「説明がわかりづらかったから、次はもう少し1文1文を短くして話すとわかりやすくなると思います」とか「説明前に先に資料を配っておくと理解しやすかったです」とかがフィードバックだ。


内容は同じようなものだけど、エネルギーの方向が違う。


学校教育の影響もあるのか、出る杭は打たれるであったり失敗しないことが賞賛される社会であったり、行動を阻害する要因が多い。
そして行動には失敗する可能性が常に潜む。


たとえばblogを書くという行動だって、炎上してしまったり悪いことを書いて問題になってしまったりする可能性がある。
だからといって「そういう可能性があるからblogは書かない」という「失敗しないこと」を賞賛するのか、
「けれどもblogを書いて自分も参加したい」という「行動」を賞賛するのか。


一度考えてみてほしい。


僕の答えはもちろん「行動」を賞賛することだ。
行動して失敗してしまった人がいても、「だから○○なんてするなよ」みたいな批判は絶対しない。
次またチャレンジできるように、全力を尽くしてバックアップする。これも行動。


そんな器の大きな人になりたい。信頼される人になりたい。