Fight the Future

Java言語とJVM、そしてJavaエコシステム全般にまつわること

バランスを重視する立場をとる

おそらく去年から、僕は「バランス」を重視する立場をとっている。
「バランス」としてしまうと調整のようなイメージになるので、適切じゃないかもしれない。
意味としては「中庸」。アリストテレス『ニコマコス倫理学』。
# エセ哲学科の俺が来ましたよ。

中庸とは二つの悪徳の、すなわち過超に基づくものと不足に基づくものとの間というものである。

つまり調整というより、過超でもなく不足でもない状態にすることを心がけている。


もちろん、これは僕自身の、家庭が壊れた経験が大きく影響していることは間違いない。
自然とそういう考え方をするようになっていた。


仕事において、ある種のもっとも効果的、効率的な手段っていうのは、仕事人間の考えであることが多いからか、家庭や家族の観点が抜け落ちていることが非常に多い。


短絡的、短期的な効果はそれがもっとも高いけれど、優秀な人材は長くとどまってくれないだろう。
効率的だけど、家庭に負担は与えないような手段でなければ、長期的には大きな損失になる。


少し話は変わるけど、ウォーターフォールアジャイルか、静的言語か動的言語かみたいなある種の究極の選択も、同じように考えてる。
僕はアジャイルについて考えているけど、それはXPでないとダメだ!という立場ではない。
極端な論理は魅力的に映るけど、テロで世界は変わらないのと同じで、現実には即してない。
# XPがテロだってことじゃないよ。日本の今までのシステム開発からすると極端になってしまうってこと。


現実のプロジェクトのように、何も考えず今までの方法(=ウォーターフォール)を適用しているのがダメだと言ってるつもり。
どうすればもっと楽になるのか、よいモノになるのか、人材を惹きつけられるか...etc考えなくちゃならないことはたくさんあるんだってことを言いたい。
考えることを放棄している時点で少なくとも人の上に立つ資格としてどうよってこと。


バランスってのは妥協じゃないってこと。
過超や不足がない状態にするためには、やはりフィードバックを重視せざるを得ない。
基本的に変えないって立場は必ず過超や不足を招くから。